エットーレ・バスティアニーニ (Ettore Bastianini)     


“イタリア・オペラ黄金時代”というのがある。 恐らく1950年台

から60年台の頃であろう。 マリオ・デル・モナコ(Mario del Monaco,

1915-82),ジュゼッペ・ディ・ステファノ(Giuseppe di Stefano,1921-

2008),レナートタ・テバルディ(Renata Tebaldi,1922-2004),マリア・

カラス(Maria Callas,1923-79),カルロ・ベルゴンツィ(Carlo Bergonzi,

1924-2014)といった名歌手が排出した時代である。イタリア・オペラ

は,“声の芸術”と言われるように,ベルカント唱法を駆使して声の

芸術性を競い合ってきた。 幸いにもこの時代の録音をCDで手に入

れることができる。

その中でも,ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ(Il Trovatore)」が好きだ(トロヴァトーレは吟遊詩人

のこと)。 ラテン系の猪突猛進劇場型オペラで,男と女が愛と嫉妬をひたすら歌い上げる『声の饗宴』

が存分に楽しめるイタリア・オペラの王道だそうである(酒井章『スタンダード・オペラ鑑賞ブック,イタリ

ア・オペラ(下)』66頁,音楽之友社)。 この決定盤が1962年のセラフィン指揮ミラノ・スカラ座オーケス

トラのCDだ。 中でも敵役のルーナ伯爵(バリトン)のエットーレ・バスティアニーニ(Ettore Bastianini,

1922-67)が素晴らしい。

バスティアニーニのバリトンの声は,気品のある哀愁を帯びたもので,その甘い柔らかさと深みのあ

る力強さをビロードやブロンズに例えられる。 舞台姿も気品のある優雅なものだそうだ。 CDで聞いて,

ビロードの声というのがあるのだと納得させられる。 ヴェルディ作品には,低音域のバリトンやバスの

役に,主役テノールに負けない力点が置かれるものが多く,これも魅力である。 他では,「ラ・トラビア

ータ(La Traviata)」のジェルモン,「仮面舞踏会(Un Ballo in Maschera)」のレナート,「運命の力(La

Forza del Destino)」のドン・カルロ,「ドン・カルロ(Don Carlo)」のロドリーゴにも,バスティアニーニの良

い録音がある。

バスティアニーニは,1922年9月にシエナの父親不在の貧しい家庭に生まれた。 小学校を終えると,

近所のパン工房の店で働いた。 その主人(ガエターノ・ヴァンニ)が音楽好きで彼の歌の才能を見抜き,

地元の音楽家のアンマナーティ夫妻に教育を委ねて,その才能を開花させ育てた。 彼は,終生それに

熱い感謝の念をもち地元も大切にしたが,大歌手になってから父であると名乗り出た人があったが,今

から父親は要らないと受け入れなかったそうだ。それだけ父親を必要とした期間に苦しんだのであろう。

 兵役の後,45年にバス歌手として初舞台を踏み,それなりの評価を得ていたようだが,自分の声質が

バリトンであることを自覚し,それまでのキャリアを中断し半年の猛勉強をした。 52年にバリトン歌手とし

て再デビューし熱心に鍛錬をし,53年から大歌手への道を一気に歩み出した。 しかし,彼は,絶頂期の

60年台初めに咽頭ガンに冒されていることを知り,これを心に秘めて歌い続けたが,62年には治療や声

との格闘が激しくなり,65年の公演が最後となった。 67年1月に44歳の若さで亡くなった。

バリトン歌手として活躍した期間は10年余りである。 50年台半ばに生まれた私には,その活躍は知る

由もないが,幸いに彼のビロードの声が多くの録音で残されており,イタリア・オペラ黄金時代を楽しませ

てくれる。 その美声を忘れられないファンが少なくなく,シエナにある墓石には,次の碑文があるとのこと

だ。

    “HA CONOSCIUTO LA GLORIA

     HA COMPRESO IL DOLORE

     HA SAPUTO FARSI AMARE

     HAI VISSUTO PIU DI UNA VITA”

         「彼は栄光を経験し,苦悩を理解し,人から愛される方法を知った。

         彼は普通の人の一生分以上を生きたのだ。」

                         (室井茜訳『偉大なるオペラ歌手たち[男声編]』300頁)

       


                                (事務所報「そよかぜ通信」2016年3月/第15号)


       
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