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 『初めてのアメリカ法(Inspiring American Law)』
                               樋口範雄(有斐閣,2010年)



樋口範雄教授は,学問上の憧れの人のひとりである。

  『初めてのアメリカ法 (Inspiring American Law)』 は,樋口教授が実際に行ってきた授業

の一端を15回に分けて語るものである。難しい内容なのに,その語り口は平易で直ぐに魅了さ

れる。アメリカ法を学ぶと,必ず「日本ではそうではないのに」と思うような違いが目につく,そこ

に学ぶ意義や面白さがあるとする。具体的なケースをもとに,日本法ではこうなりそうだと説明

され,アメリカ法では違う結論や理由付けがされる。そこでは,何度も「なぜか」が問われる。

一緒に考えるのが実に面白い。このような授業を実際に受講できる学生は幸せである。


一例を挙げよう。泥棒へのショットガン・トラップのケースである。農場の小屋にたびたび

空き巣が入るため,小屋の戸を開けると銃が発射される装置(shotgun trap)を付けた。

原告が盗みに入ろうとしたところ,右足に命中し,動けなくなって捕まり,40日間入院した。

窃盗の刑事事件では,50ドルの罰金と60日の拘留刑を受けた。

 ところが,その後,泥棒の原告は,故意による不法行為を理由に被告を訴えた。陪審審理が

行われ,2万ドルの損害賠償と1万ドルの懲罰賠償が認められ,アイオワ州最高裁もこれを

維持した(Katko v. Briney, Iowa 1971)。


アメリカの不法行為法では,第一義的には被害者の損害に注目せず,「行為が不法か否

か」,「そのような行為を抑止すべきか,それとも本則の自由な行為として認めるべきか」が

問われる。そこでは,小屋に置いてある財産保護のために,生命身体への危険を生じさせる

装置を付けることが適切な手段かが問われる。たまたま狙い通り泥棒が標的になったが,通り

すがりの者や子どもが休憩や遊びで入ってくるかもしれない。

  焦点は,危険な装置を警告表示もなしに仕掛けることをいかに評価するかである。それを

認めた場合に,社会がより安全になるか,よりよい社会になるかが問われる。このケースでは,

陪審も裁判官も,これを認めたら危険度の増す社会になると判断し,絶対に禁圧すべきとして

懲罰賠償まで課した。


日本でならどうか。そもそも日本の泥棒は,自らの泥棒に起因する事故で損害を負ったから

といって,法を使って賠償請求はしないであろう。仮に裁判になっても損害全額が認められる

ことはない。泥棒に入ったことを帰責事由として必ず大幅な減額(過失相殺)がある。泥棒で

ない子どもが被害者なら大幅な損害減額はされないであろう。

 日本では,不法行為法の第1の目的が損害の公平な填補とされ,損害を受けた被害者につい

て事後的にどうすべきかを考えるのが法だとされる。各事件の裁判が,その事件限りの妥当な

解決を志向することになる。


ところが,アメリカでは,そもそも自由な活動を保護するのが不法行為法の第1の目的だ

とされ,それこそが正義に適うとされる。そこでは,被害者が泥棒であることには着目せずに,

行為者の側の事前の行為のあり方を問題とする。危険な装置についてのルールを導こうとする

志向が強いのである。

 アメリカ法では,過失責任主義を過失がなければ責任なしとして行動の自由を促進するため

の法の基本的な政策としているが,日本のそれは同じものではない。

 実際に損害賠償請件を扱った際の経験でも,被害者の損害をどう公平に填補させるかの観点

から加害者の帰責事由を検討し,加害者の行為のあり方を厳しく問いかけることは多くないよう

に思う。不法行為法の目的につき損害の公平な填補とすることを当たり前と考えていたが,それ

は一種の思い込みか日本独特の考え方なのかもしれない,と気付くことは驚きであり実に面白

い。

 中央大学法学部において,「法務インターンシップ」と「法曹特講」の2つの授業を担当している。

何度も「なぜか」を問う授業というのは,やってみたいやり方である。

                  (事務所報「そよかぜ通信」2012年3月/第10号)