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 『大聖堂』(THE PILLARS OF THE EARTH)
             ケン・フォレット著(矢野浩三郎訳)(ソフトバンク文庫,2005年)


 大聖堂の堂内に入ると,そこは不思議な荘厳な空間である。建築様式に興味を

 もって勉強してみると,ゴシック様式の外見的な特徴は,交差リブヴォールト,尖

 頭アーチ,フライング・バットレスといわれるが,本質的な特徴は,壁のあらゆる部

 分が丸くて細長い棒状の要素(線条要素)によって表現されていることにある。これ

 によって,壁の持つ重量感を消し去っている。パリ近郊のサン・ドニ修道院の内陣

 (1144年献堂)が最初のゴシック様式である(佐藤達生『図説・西洋建築の歴史−

 美と空間の系譜−』119頁以下,河出書房新社)。


 このような大聖堂がなぜ建てられたのか。「ヨーロッパ中世の大聖堂は,世界で

 も最も壮麗な建造物である。めざましい技術と,息をのむ芸術の総合である。それ

 が,何百年,どうかすると一千年もの昔に,建築された。実際には数学を知らない

 人たちによって設計され,いとも単純な道具を使って建てられ,地を這う程の貧し

 い人びとの浄財によって支えられていたのである。それは,なぜか。」

  これが著者(Ken Follett)を捉えた疑問であった。当時の建築家は鉛筆も紙もな

 く,モルタルを引っ掻いて図面を書き,職人は平方根の何たるかを知らず,かれら

 の使う道具はせいぜい,木槌や玄能などのハンマー類,鑿(のみ)と鏨(たがね),斧,

 ノコギリくらいのものであった。家族全員が家畜の牝牛といっしょの部屋で眠るのが

 ごく一般的であった時代であり,しかも,絶えざる飢饉,疾病,犯罪,戦さによって,

 人の命はつねに危険にさらされていた。その時代に,どうしてかくも美しい,壮大で

 豪奢な教会堂が建築されたのであろうか。


 本書は,この疑問に答えを得るために書かれたという。物語の展開は実に面白い。

 舞台は12世紀のイングランド。主人公の一人である建築職人は,自らが設計した大

 聖堂を棟梁となって建設することを生涯の目標とする。それを適えるため,安定した

 生活を捨てて家族を引き連れて職を求めて彷徨うことから物語が始まる。中世のこ

 の時代の生活はかくやと思わせる。大聖堂はこのような人びとがつくったのかと思う。

 文庫本上中下3冊で合計1800頁のもなる大作だが,読み始めるととまらない。

  続編ともいうべき『大聖堂−果てしなき世界−』(WORLD WITHOUT END)(ソフトバ

 ンク文庫,2009年)では,ペストの猛威が物語に加わる。これも文庫本3冊合計2000

頁の大作だが,これもとまらなくなる。


 *交差リブヴォールト:アーチの原理を用いてつくられた石造やれんが造の屋根・
      天井をヴォールトという。内輪に突出した棒状の部材(リブ)をもつものが
      リブヴォールトで,交差稜線部分に付けられたリブが交差リブ。
 *尖頭アーチ:アーチ頂部が尖った形状のアーチ。頭のまるい半円アーチよりも
      強靱で,芸術的にも尖った頂部が上昇を志向し,見る者の想念を天へと
      誘う(半円アーチの思念は地上へと回帰する)。
 *フライング・バットレス:飛び梁。ヴォールトの推力が作用する身廊壁の外側に,
      アーチを斜めに掛け渡して,推力を最外部の控え壁に伝達する方法。

                  (事務所報「そよかぜ通信」2010年3月/第8号)

見事なフライング・バットレスの
 サンテティエンヌ(St-Etienne)大聖堂/ブールジュ(フランス)