犬養道子著『新約聖書物語』
                               (新潮社,1976年)

 「善きサマリア人」

 カトリックの古い教会は,信仰のない者にとっては,美術館・博物館である。

  美しい絵や像を目にして,それが何を語っているのか,聖書の物語に興味を

 もった。手始めに読んだのは,阿刀田高氏の『新約聖書を知っていますか』,

 『旧約聖書を知っていますか』(新潮文庫)である。そこで,犬養道子氏の著作

 を知った。


 印象に残ったものの一つに,善きサマリア人の話がある(ルカによる福音書

 10章25−37)。律法学者がイエスを困らせるために,「永遠の生命を得るには,

 どうしたらよいか」と問う。イエスの答えは,「すべてを以て主なる神を愛すべし。

 また,己が隣人を,己れのごとく愛すべし」である。そこで隣人とは誰を指すか

 が改めて問われた。イエスは,完璧な名画のごとき物語を語る。


 強盗に半死半生にされたユダヤの旅人が捨て置かれた。折しも通りかかった

 司祭も,レビ人も見て見ぬふりをした。ところが,次に来たサマリアの旅人が,

 一番近い宿屋に連れて行って介抱した。翌朝,宿の主人に金を渡して看病を

 依頼し,費用がかさんだら,用を済ませての帰りに払うと頼んだと。ユダヤは,

 サマリアとは犬猿の仲で,政治的にも宗教的にも敵視しあって「口もきかぬ」

 間柄の民であった。


 「己が隣人を,己れのごとく愛すべし」とは何か。犬養氏の解釈は明確である。

 己れを愛するときは,目的や希望のために,敢えて辛いことも忍び努力し,欠点

 や弱点や愚かさに満ちた自己に耐える。絶望せんばかりの過ちからも,「自己を

 ゆるして」立ち上がり,前進しようとする。もし他人であったならとうに縁を切って

 振り捨てていたでもあろうほど愚かで悲しい自分でも,自分である限り振り捨て

 るわけにはいかない。百が百,自分が間違っていたと思われるときでも,人は己

 れをかばおうとする。己れに耐え,己れを励まし,己れを受けいれる。その尺度

 をいつも他人に向かって使え,とイエスは教えたのだという。


 善きサマリア人は,過去にユダヤ人がサマリア人に何を言い行ったか,回復

 後に礼を言ってくれる人か,そんなことは一切詮索しなかった。ただ,わが身が

 こういう状態に置かれたときにしてもらいたいであろうことのすべてを「いま」行っ

 ただけである。「神を愛すとはそれだ。」とイエスは言う。「永遠の生命とはそこに

 ある」と。

  なお,賀集唱先生から,アメリカに「Good Samaritan Laws」というのがあるの

 を教えられた(樋口範雄・法学セミナー1994年1月号108頁,同・ジュリスト1158

 号69頁参照)。

                  (事務所報「そよかぜ通信」2009年3月/第7号)


       戻る