心洗われるアッシジの聖地





        もう1人のミケランジェロ


 ミケランジェロといえば,レオナルド・ダ・ヴィンチ,ラファエロ・サンティと並ぶイタリア・ルネサンス期

 の三大巨匠であるミケランジェロ・ヴォナローティ(1475-1564)をすぐに思い浮かべるであろう。ローマ

 でなら,サン・ピエトロ大聖堂のピエタやシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画が著名である。

   しかし,ローマではもう1人のミケランジェロがお勧めである。ミケランジェロ・メリージ(Michelangelo

 Merisi。1571-1610)といっても分からないかもしれないが,カラヴァッジョ(Caravaggio)といえば知って

 いる人も少なくないと思う。生年でいえば,ヴォナローティから100年近く後に生まれ,写実的な人物像

 と強い明暗効果により新しいバロックの時代を切り開いた画家である。ミラノで生まれたが,6歳でミラノ

 近郊のカラヴァッジョに移住し少年期を過ごした。この町は,15世紀に農婦の前に聖母が現れて泉が沸き

 出たということで,「カラヴァッジョの聖母」として巡礼地となっていたということである。画家の名前はこの

 地名から来ている。

 2013年にローマを訪れた際に,宮下規久朗氏の著作(『カラヴァッジョへの旅−天才画家の光と闇』

 角川選書,2007年。『もっと知りたいカラヴァッジョ−生涯と作品』東京美術,2009年)に触発されて,カラ

 ヴァッジョ巡りを加えて楽しむことができた。

  まずはナヴォーナ広場である。この広場の北東側のすぐ裏手に地味なファザードで目立たないが,

 サンタゴスティーノ聖堂がある。この薄暗い教会の礼拝堂(カヴァレッティ礼拝堂)に,「ロレートの聖母」

 (1603-6年頃)がある。ロレートは,アドリア海沿いの町で,13世紀にキリストの生家が飛来したという伝承

 がある巡礼地である。この絵は,ロレートの聖家に巡礼に来た母子の前に聖母が顕現した情景を描いたも

 のである。薄暗い扉口の手前に,杖を持ち短いマントを被った巡礼の母子が跪いている。礼拝の先には光

 輪に赤と青の服を身につけた聖母が幼児キリストを抱えている。強い光が当てられ,ふわりと今まさに顕現

 したように見える。この絵が公開されると,人気を博し大騒ぎとなったとのことである。この教会は,サン・ピ

 エトロ大聖堂に向かう巡礼の通り道に位置するので,多くの巡礼者が立ち寄ったものと思われるが,絵の中

 の巡礼者の汚れた姿は自分たちと同じ現実感をもたらし,奇蹟が目の前に起こっているような臨場感をもっ

 たであろう。教会に入るにはチケットも不要で荷物検査もなく,敬虔な気持ちを持ち合わせていれば気軽に

 迎え入れてくれる。薄暗く静かな教会の中では,奇蹟を目の前に見た人たちの驚きや往時の雰囲気を容易

 に想像することができる。この場所で目にしてこその名画である。

 また,この教会から2・3分のところにサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂がある。礼拝堂(コンタレッリ

 礼拝堂)には,カラヴァッジョの公的デビュー作である聖マタイ3部作がある。最も印象深いのは「聖マタイの

 召命」(1600年)だ。この絵が公開されたのは聖年の1600年で,バロック美術の幕を開いた作品である。

 薄暗い収税所に入ってきたキリストが徴税人のマタイに指を差して「私についてきなさい」と呼びかける。

 徴税人は同胞から税を取り立てる憎むべき卑しい存在であったが,キリストは,このような者を積極的に

 弟子とした。指を指されたマタイは,次の瞬間,すべてを捨てて立ち上がることになるという劇的な場面を

 描いたものである。キリストとともに右上から光が射し込み,光と陰の強い対比が緊迫感を醸し出している。

 実際の礼拝堂でも同じ方向から光が射し込む状況になっている。

 ところが,この絵では,肝心のマタイが誰か争いがある。長らく顔を上げて自らを指さす髭の男がマタイ

 と思われてきたし,私もそう教わってきた。しかし,最近では,左端でうつむいて金を数える男がマタイだと

 いう意見があるという。宮下氏は新しい説に賛成する。いわれてみると,髭の男の指は,自分ではなくうつむく

 男を指しているように思える。帽子も金を払いに外から来た者で,徴税人は部屋の中にいて帽子をかぶって

 いないのではないかと思える。

  礼拝堂の向かって左側に「聖マタイの召命」があり,右側に「聖マタイの殉教」(1600年),正面に「聖マタイと

 天使」(第2作,1602年)がある。この教会もチケットも荷物検査もなく,名画を間近に見ることができる。薄暗い

 教会の中は,当時の様子とさほど違いがないのではないかと思えることもあり,乏しい想像力であっても,奇

 蹟の場面を想像することは容易である。

 次はポポロ広場である。ナヴォーナ広場から徒歩10分位。広場の北側に,サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂

 がある。ここの礼拝堂(チェラージ礼拝堂)に,「聖パウロの回心」(第2作,1601年)と「聖ペテロの磔刑」(1601年)

 がある。前者は,パウロがキリスト教徒迫害に向かう途中に神の声を聞いて落馬した場面であるが,射し込んだ

 光をパウロが受け止めているように描かれている。後者は,ペテロが逆さ十字架にかけられる場面であるが,顔

 を上げたペテロのみが光を受けて描かれている。いずれも写実的な人物像と強い明暗効果がよく見て取れる。


                                     (事務所報「そよかぜ通信」2019年3月/第18号)