この中で,感覚と幸福の関係を述べている。著者は,ときおり「幸せとは何か」

と聞かれるが,考えたことがないといつも答えるそうである。結局,「幸せとは○○

である」というような言葉は,すべて後知恵の類,後講釈の典型だという。何かが

起こったあとに,思いがけなく感じるものが幸せなのだ。あらかじめわかっている

ようなこと,「幸せとはこういうものだ」と定義できるようなものは幸せではない。「思

いがけた」幸せなんてないような気がする。思いがけないことですごく幸せを感じる

には,感受性が大事で,大切なのは感覚だという。

 なるほどなあと脱帽。でも,これを読んだだけでは概念的な思考のままなので,

私の思いがけないことを2つ紹介。

出石焼は,美しい白磁で,彫った柄が付けられているものもある。以前も窯元や

店を見て回り,手にすっぽりと収まる湯飲みを気に入って買い求めていた。今回も

たくさん見て回って,気に入ったエスプレッソ用のデミタスカップを買い求めてきた。

 ところが,帰って前の湯飲みと見比べてびっくり。窯元の銘が同じ「出石鶴山」で

あった。以前も今回も,窯元や店をたくさん見て回った挙げ句にやっと気に入った

ものであった。気が付かなかったが,そうなら買った店も同じである。20数年を経て

も,全く好みが変わっていたなかったことにあきれたが,これも思いがけないことの

幸せである。
 1つ目。

 好きなTV番組の一つに「小さな村の物語 イタリア」(BS日テレ)がある。この番

組のイタリア語のテーマソングがいいなあと思っていたが,曲名も歌手もわからな

かった。

 ところが,近所の書店の半額セールで,好きなAndrea Boceli(アンドレア・ボッチ

ェリ)のCD「Amore」を見付けたので買い求めて聞いていたところ,11番目にこの

曲が入っていた。L'Appuntamento(ラプンタメント:約束,逢いびき)という曲だと分

かった。Ornella Vanoni(オルネッラ・ヴァノーニ)の1970年の大ヒット曲だそうで

ある。彼女のCDも見付けて,番組で使っているのはこれだとわかった。これが思

いがけないことの幸せなのだろう。

 もう1つ。

 5月連休の終わりに,兵庫県の出石(いずし)に出かけた。旧出石藩の城下町で,

風情のある町並みは但馬の小京都といわれる。辰鼓櫓(しんころう)という明治初期

の時計台(かつては辰の刻の城主登城を知らせる太鼓を叩く櫓),皿そば,出石焼

が有名。東京からは少し不便で,山陰本線・豊岡駅から全但バスで30分くらい。

この町には,新米弁護士のころに訪れたことがあり,20数年ぶりの再訪である。
 (事務所報「そよかぜ通信」2011年2月/第9号)
           幸せとは何か」 (出石再訪)


 「日本には,不機嫌で笑わない年寄りが多い気がします。しかし人生において,

年をとったからこそ良かったと思えることはたくさんあります。」  

                      (養老孟司著『養老訓』新潮文庫,2010年) 

  弁護士には定年がなくリタイア後のことには関心が薄いが,文庫本カバーの紹

介文は何だか魅力的だった。著者70歳を記念して刊行された「大人のための笑っ

て過ごす生き方の知恵」だそうである。

  訓の壱「不機嫌なじいさんにならない」に続いて,訓の弐「感覚的に生きる」では,

ものを考えるときに,「概念的」に処理するのと「感覚的」に捉えるのとがあるという。

 感覚とは,視覚,聴覚,触覚,味覚,嗅覚などで,いずれも現実的に何かがある

ことを前提とする。具体的であること,現場の視点と言ってもよい。最近の人は,概

念的な思考が優先し感覚が鈍くなっている,頭でっかちになって,目の前のことに

鈍くなっているという。